中1松江塾ママブロガーmomoの基数

娘の成長が、早すぎて見えなくて。言語化することで、なんとか掴まえようと、デジタル母子手帳始めました。

中1娘「誰が産んでって頼んだ?」親が自分の人間性を忘れることが、大きな過ちって?あー、わからない!

今日のブログは荒れます宣言。

 

昨夜、中1娘に

 

「誰が産んでって頼んだ?」

 

と言われました。

 

今朝もその傷が痛みます。

 

 

 

昨日、帰りの電車で『親業』を読みました。

そこに、衝撃的なことが書いていました。

 

「親業を始めて最初に犯す大きな過ちは、親が自分の人間性を忘れるところにある」

 

「子どもに接する時も、親が人であるために」

 

私は子どもが産まれてから、自分は子どもたちのコンビニだなと思うようになっていました。

24時間、いつでも開いてます。

 

何かやりたいと思っても、

 

これが食べたいと思っても、

 

叶わないことが多過ぎて、

 

自分の思いを

 

なるべく持たないようにしてきました。

 

 

その方が楽だったし、うまくいってたから。

 

 

子育てにおいて、親であることにおいて、

 

私は一人の人間であることを

 

かなりの割合で諦めていたと思います。

 

それが、「最初に犯す大きな過ち」とは。

 

 

 

でも、一人の人間であること=わがままでいていい、訳ではないはず。

 

自分の思いを、大切にするということか。

 

 

先が読みたい。

 

 

そう思って帰宅し、

 

夕食を作り、

 

昨夜はちょっとおいしいお肉だったので、

 

それぞれに焼きたてを食べて欲しくて、

 

最後に帰る娘に夕食を用意して、

 

 

眠くなった妹とベッドに入っておしゃべりしてたら、

 

娘がやってきて、

 

「誰が産んでって頼んだ?」

 

と言い放ちました。

 

 

その後も普段つかわない言葉を使うから、

 

「どこでそんな言葉覚えたの?

TikTok?インスタ?

制限かけるよ」

 

と罰を与え、

やりたいことをやらせない恐れを

与えました。

 

『親業』読んだのに、

 

私は何をやってるんだか。

 

 

 

それなのに、急に、帰りに読んだ

 

 

私は一人の人間だ!

 

 

の思いが強くなって。

 

 

 

今までなら、

 

「まぁ、イライラしてるのかな。

仕方ないな」

 

と思えていたけど、

 

「私は一人の人間だ」

 

と思うと、どんどん許せなくなってきて。

 

 

きっと、私の思う、

 

「親でも一人の人間」

 

の理解は間違ってるんだと思います。

 

 

朝起きても、心は重く苦しくて。

 

妹に話すと

「ねえね、淋しいんじゃない?

 

構ってほしいんだよ。」

 

仕事を始めて、

 

思い当たる節は様々あります。

 

 

 

 

母と姉にラインしました。

 

ふたりとも、母親らしい、

 

愛に溢れた返信をしてくれました。

 

 

私にもこんな時期があったのだと

 

思い出すこともできました。

 

私も娘も大丈夫と思えてきました。

 

 

 

 

『親業』の何もまだ

 

私は学べていないんだな。

 

 

 

子育ては付け焼き刃では

 

うまくいくはずがないんだよな。

 

 

あー、そろそろ下車しなきゃ。