中1松江塾ママブロガーmomoの基数

娘の成長が、早すぎて見えなくて。言語化することで、なんとか掴まえようと、デジタル母子手帳始めました。

少し先の心配よりも、目の前の子どもを受け止める。無償の愛って、言葉で書くのは簡単だけど、できないことばかり。

子どもには将来苦労してほしくない、

 

そう思う愛情から、こどもが

 

宿題しなかったり、

 

勉強しなかったり、

 

感情がコントロールできなかったり、

 

お友達とトラブルを起こしたりすると、

 

親はつい強めな言葉、

 

ゴードンの12の型を使うんだと思う。

 

 

昨日読んだ記事の中に、

 

「親は少し先の心配をするのではなく、

 

目の前のこどもを受け止めてあげて欲しい」

 

とあった。

 

 

父親の例がありました。

 

運動会の予行演習で、こどもが徒競走で一番だったと聞いたとします。

 

運動会当日、親は徒競走をとても楽しみにしていました。

 

列に並ぶこどもは、なんだかクネクネ。

 

先生からも注意を受けている様子。

 

スタートラインについても、集中していない。

 

それどころか、他のお友達が走り出したのに、止まったまま。

 

先生に手を引かれて、なんとかゴール。

 

こどもはヘラヘラしている。

 

 

 

そんな時、親はどうなるか?

 

 

「なんで走らないんだ」

「ふざけやがって」

「真面目に走れ」

「がっかりしたよ」

「恥ずかしい」

 

 

強いこどもになって欲しい、

 

みんなと同じことができるようになって欲しい、

 

こんなことでは、将来心配だ、

 

1位がとれると期待してたのにがっかり。

 

本人はヘラヘラして、悔しくないのか、情けない。

 

 

色んな感情が沸くと思います。

 

 

 

これは、「少し先のこどもを心配している」状態なんだそう。

 

将来、立派な大人になって欲しい、

 

苦労しないで幸せに暮らして欲しい。

 

親としての愛情だ。

 

 

だけど、それは、

 

「条件付きの愛情」

 

だという。

 

「◯◯ができたから、あなたを認める。

あなたを愛する。

大切に思う。」

 

と、条件が付く愛情。

 

 

これは、「あなたはあなたのままでいいんだよ」

 

の無償の愛情とは違う。

 

 

1位になれたから、すごい!

みんなと同じように走れたからすごい!

 

ではないらしい。

 

こどもは、どうして走らなかったのか。

 

 

例として挙げられていたのは、

 

「コロナが明けて、初めての大きな運動会。大勢の保護者の雰囲気に圧倒されて、不安になり、練習通りにはいかなかった」

 

だそうだ。

 

この気持ちが、

 

大人からすると、

 

スタート前に集中せず、

スタートできず、

先生と走り、

終わってからもヘラヘラしている

 

様子からは、なかなか読み取れない。

 

そうなると、運動会が終わると、こどもを否定する言葉を浴びせてしまう。

 

 

そうならないために、親はどうするのか?

 

 

こどもを信じる。

 

走らなかったのではなく、

 

走れなかったんだ、

 

きっと何かあったんだ。

 

それでも、ゴールしたのはすごいこと。

 

本人も落ち込んでるんじゃないかな。

 

気持ちを受け止めてあげよう。

 

 

と、どんな時もこどもへの愛情を持つ。

 

 

 

うーん、難しい。

 

 

 

だけど、自分がこどもなら。

 

 

親に、練習で1位だったと伝えて、

 

自分も1位取りたかったのに、

 

たくさんの人がいて、

 

いつもと違う学校で、

 

走ることができなかった、

 

恥ずかしくてヘラヘラしちゃった。

 

お父さん、がっかりしただろうな。

 

怒られるかな。

 

もう、運動会嫌だな。

 

 

そんな時、お父さんから

 

「なんでちゃんと走らなかったんだ!情けない。恥ずかしいことだぞ!そんなんで〜」

 

なんて言われたら。

 

 

「今日は徒競走、走れなかったけど、

 

先生とゴールできてたね?

 

どんな気持ちだったの?」

 

 

と気持ちに寄り添えば、

 

破壊的ではなく、建設的な会話ができ、

 

自尊感情を傷つけず、

 

運動会を嫌いにならず、

 

親の愛情の中で、

 

自分の力で前に進めるのではないかな。

 

 

 

こどもを傷つけるのは簡単だ。

 

 

親の気持ちのままに、

 

言葉を伝えれば、容易に傷つく。

 

 

 

無償の愛、

 

 

将来の心配や不安は見ずに、

 

目の前のこどもに寄り添い、

 

愛情を注ぐ。

 

 

 

すぐにはできなくても、

 

忘れたくない。