中1松江塾ママブロガーmomoの基数

娘の成長が、早すぎて見えなくて。言語化することで、なんとか掴まえようと、デジタル母子手帳始めました。

フィリピンへの手紙ー29年間の思いが、ここから動き出す。娘と一緒に手紙を訳しています

29年前に出会ったフィリピンの友だちへ

 

手紙を書こうと思い立った。

 

 

娘と毎日英語を取り組んだ後、

 

一緒に手紙を訳すことにした。

いまは、英語の筆記体を習わない。

 

29年前は筆記体が主流だったと思う。

 

 

娘は、「I」 の筆記体 もわからないという。

 

 

 

仕方なく、私がゆっくり音読しながら、

 

一緒に考えることに。

 

 

 

ちょうど、松江塾の毎日英語で

 

「easy」が出てきて、

 

ついでに「difficult」も覚えようね

 

と話したばかり。

 

 

 

手紙の中に両方出てきて、

 

しっかり身に付いた様子。

 

 

 

これこそ、生きた英語の使い道。

 

 

 

コツコツやっていると、

 

こういうご褒美がもらえるね。

 

 

 

半分ほど読んだところで、

 

娘がギブアップ。

 

 

 

確かに、筆記体だし、

 

知らない単語もあるし、

 

疲れたね。

 

 

 

それでも、送り主の子どもの写真を見せ、

 

何か感じるところがあったみたい。

 

 

 

 

手紙の住所を見たら、

 

みんな、小学校になっていた。

 

Tawala Elementary School | Panglao | Facebook

 

ここに送ってもいいものだろうか。

 

 

 

私とお友達との当時の写真や、

 

手紙のコピーも添えれば、

 

本人の元へ届くだろうか。

 

 

 

判断がつかず、当時、

 

私がボランティアに参加させてもらった

 

オイスカに連絡してみた。

 

 

 

公式ページからの問い合わせ。

 

 

どんな返事をくださるか、

 

今から楽しみ。

 

 

 

ここで、

 

紙の手紙として送るか、

 

データとして送るか。

 

私は、

 

紙で送りたいなと思っているが、

 

データの方がたどり着ける可能性は

 

高いのか?

 

 

 

とりあえず、

 

最後まで娘と訳して、手紙を書こう。

 

 

 

 

昨日のブログにコメントくださった

 

さばさんのおかげで

 

思い出したことがある。

 

 

 

私は当時、

 

フィリピンの子どもたちと出会い、

 

その境遇には

 

もどかしい思いをしたが、

 

彼らの目はキラキラ輝いて、

 

生命力に溢れていた。

 

 

 

彼らは生きるために、

 

まっすぐ前を向いていた。

 

 

 

なんてすごい力なんだろう。

 

 

 

私はその時、初めて

 

「生命力の塊」に出会ったのだ。

 

 

 

大学生だった私は、

 

 

日本で、与えられた環境を

 

与えられたままに無自覚に受け入れ、

 

 

受験の渦に飲まれていく子どもたちの

 

 

覇気のなさに危機感を持った。

 

(もちろん、自覚をもって、生命力に溢れて過ごしている日本の子どもたちもたくさんいるとわかっている。)

 

 

彼らとは、衝撃的な出会いだったのだ。

 

 

 

彼らをかわいそう、

 

と思っていたわけではなかった。

 

 

 

こんな気持ちも忘れていたなんて。

 

 

 

29年間の思い、

 

そう簡単ではなさそうだ。